ちょうど、人生の意味というのは、と同じです。 この本の設定は小・中学ですが私が「友だち」で悩んだのは高校時代。
1.ものの見方について 天動説が地動説になったように、 コペル君は、自己中心的な世の中の見方から、 世の中の流れの中の一人が自分であると 見方を転換します。 読者のイマジネーションを刺激するアイデアと表現力で、マンガ、イラストレーション、絵本のほか、アニメーションなどでも幅広く活躍。
19内容は子どもなりに考えさせられる哲学について、子ども哲学というものからの出店の話と、この本の文庫化にあたって書き下ろされた「あの町で 春夏秋冬」である。 生きることを、歩くことや走ること、 飛行機で飛ぶことにたとえると分かりやすくなります。
「 一人一人が、それぞれ自分の一生をしょって生きてゆくということに どれだけの意味があるのか、どれだけの値打ちがあるのか、 ということになると、僕はもう君に教えることができない」 つまり、人間が生きて行く、 は分からないということです。
4でも、裏を返せば、祝福されるだけが愛じゃないってことでもありますね~。
恵美と由香の友情の行方が本書の最大の読みどころとなるわけだが、二人の別れの時が近づくにつれ、何度も涙腺が緩んだ。
二人は出逢い、恋に落ちる。 それを叔父さんに報告すると、 それはすでに「 生産関係」として知られていること、 人類にとって役立ち、尊敬される発見は、 人類初の発見でなければならないこと、 そんな発見をするためには、現在の学問はすべて学び終え、 探求心を忘れてはならないことを教えてもらいます。
同時に、人類の進歩に結びつかない強さもが、 世の中には力のない善良な人々が多いことをほのめかします。 3.人間同士のつながりについて コペル君はやがて、オーストラリアでつくられた 粉ミルクの缶詰を通して、見ず知らずの人と 助け合って生きていることに気づきます。 そして、その答えは作品の中には書かれず、 読者の一人一人が考えることになります。
その子が親友だったのだろうかって思ったりしました。 わたしは、小さい頃から一方的に「結婚したい!」と言っていた親せきのお兄ちゃんが、結婚しちゃったとき、言いようのない淋しさにおそわれました。
でも、ショックなど受けず、当たり前に受け入れるような大人のレディになったと思わせなきゃいけないと、ただただ笑顔で結婚式に出たのを覚えています。 多分今振り返れば冷静にそう判断できるのですが、その当時はそう考えることもなくこの物語に出てくる恵美ちゃんと由香ちゃんの二人の世界に憧れながらその他の子達のように「友だち」の定義を間違えて必死になっていたのでしょうね。
親友もそう、親せきもそう。 だが、友だちとは何かという問いに対して恵美が出した結論に、羨ましさを覚えてならなかった。 それは読み始めてすぐにもあった。
10いい作品でした。
東京大学農学部大学院中退。
目的なしに歩けば、どんな歩き方をしても、歩き倒れです。 それは何だろうか? お互い人間であるからには、 一生のうちに必ずこの答えを 見つけなければならない」 と問題を出します。
重松清の本はそういう自分が封印してしまった過去と重なる物語が多く、また「きみの話をしよう」と読者自身へ語りかけている文体なので余計に胸にグサリと突き刺さってくるのだと思います。 「友だち」という言葉はあまり簡単に使ってはいけないな、と本書を読んで思った。