上にあげた例のほかにも、町民が奔走して買い戻した後、町に寄附され公会堂として親しまれた(福井県)、昭和まで放置された城を修復するため、学生や子どもたちも協力して地元の人たちが山上まで瓦を運んだという(岡山県)、明治24年(1891年)の地震で半壊した天守を修復することを条件に旧藩主に譲渡され、2004年まで個人所有だった(愛知県)、旧藩士の嘆願によって取り壊しを免れた(香川県)など、すべてを紹介しきれませんが、長く困難な道のりを経て、そこに立ち続けている現存12天守には、それぞれに違ったドラマがあります。
20また、文禄・慶長の役の際に朝鮮半島に造られたにも見られる「(竪石垣)」や「」も現存する。
瀬戸大橋一帯を見渡せる。 のち松平直政が入封,松平氏が明治までつづいている。
「東海北陸自動車道」と「舞鶴若狭自動車道」、「名神高速道路」のうちいずれかの道路を経由すれば、北陸自動車道に接続できます。 また、別名「霞ヶ城」の由来にもなっている、大蛇が出現したという井戸も見ものです。
通年 8:30~17:00 天守• その長い歴史のなか、築城から現在まで丸岡城にまつわる様々な逸話が語り継がれています。
また、日本でも「天守(天守閣)」の壁が漆黒なのは松本城だけ。
丸岡城のある丸岡町には、四季折々の景色が楽しめる「霞ヶ城公園」や、県下最古の民家が見学できる「千古の家」、越前竹人形が展示されている「越前竹人形の里」などがあります。 以前は「日本国内最古の現存天守」と言われていましたが、2019年3月に発表された学術調査の結果から、1624~44年の江戸期に建てられたことが判明しました。
1江戸時代以前に建造された天守が残る現存12天守の一つ。 通年 8:30~17:00 天守• 9~11月 8:30~17:30• 家格の高さに反して書院造の座敷を欠くなどの要素から、中世末期まで遡る非常に古い建築構造と考えられていることが特徴です。
一緒に巡ってみてはいかがでしょうか? 松山城まとめ お城名 松山城(まつやまじょう) 住所 〒790-0008 愛媛県松山市丸之内1 別名 金亀城、勝山城 築城年 慶長7年(1602年)着手 築城主 加藤嘉明 天守構造 連立式層塔型3重3階地下1階 (1852年 再) 遺構 天守、櫓、門、塀、井戸、石垣、土塁、堀 営業時間 ロープウェイ• なかでもおすすめなのは、「 そば処 一筆啓上」で食べられる「 越前おろしそば」。
三浦正幸監修『【決定版】図説 天守のすべて』学習研究社 2007年• 天守建造年:(7年)• 『ビジュアルワイド 日本の城』 監修: 発行:• 松本城天守 この地方で、幕末・明治維新の時点までに残っていた天守は、 高島城・ 小浜城の3重天守、 新発田城の天守代用3重櫓がありました。 詳細は「」を参照• 弘前城 【青森県】 出典: 弘前城 弘前藩祖為信(1550~1607年)が築城を計画し、二代藩主信枚が慶長15年(1610年)縄張りをし、翌16年(1611年)にほぼ完成した海抜50mの平山城である。
高知県のお城• 概 要 天正4年(1576年)、織田信長の家臣で越前ほぼ一帯を領していた柴田勝家の甥である勝豊によって築かれた城。
石垣の造営方法には、 野面積(のづらづみ:様々な大きさの自然石をパズルのように積み上げる手法)を採用。
(行った時期:2020年2月). さらに戦時中は、アメリカ軍の空襲などでも失なわれてしまいました。 電話番号:0776-66-0303• 甲信越・北陸のお城の特徴 天守や櫓が充実しているお城が多い この地域では天守や櫓などの建築が充実しているお城が多いことが特徴の一つとしてあります。 2020年11月7日の問題は、北陸地方では唯一となる、現存12天守のひとつ。
12築城当時から掘立柱構造が採用されていたかどうかは、分かっていません。 現存する最古の天守として親しまれた「お天守」 戦国時代に頻発した 一向一揆への備えとして丸岡城が築城されたのは、戦国時代の1576年(天正4年)です。
文化財指定:、国宝2棟・重要文化財5棟• これは、現存する12城の天守閣の中で丸岡城だけが持つ特徴です。 岡豊城(続日本100名城) 高知県には日本100名城に1城、続日本100名城に1城、選ばれています。
また、人力車に乗っての観光や屋形船で遊覧しながらのお堀巡りもオススメです。
19関ヶ原の戦いで功績をおさめた「井伊直政」が、徳川家康から石田三成の居城「佐和山城」を与えられたことが彦根城のはじまりでした。 最上階まで行きましたが、まず階段が急。