そんな背景もあり、とても高待遇で働きながらも、もっと一次生産者と接したいという思いが日に日に募るようになっていき、食品流通の変革に挑戦するベンチャー企業が苦戦している話を聞くと、「自分がやらずに誰がやるんだ」とすら考えるようになっていったんです。
4空港内の貨物ターミナルにある羽田市場に到着。 「もうたくさん獲る時代ではない。
そして午後6時、到着したのは銀座の海鮮居酒屋「魚然」銀座八丁目店。
野本は1965年、千葉県船橋市で4人兄弟の末っ子に生まれた。 この巨大な築地市場を、羽田市場はすっ飛ばしているのだ。 2008年、APカンパニー入社。
12三浦さんが最初に送ってきた魚が届いた。 3枚におろした後で、マイナス30度のアルコールに漬けて急速冷凍する特別な凍結機に入れられた。
現場から学び、同時に知識を現場に伝える、そのやりとりが、流通システムに反映されている。 そこで野本はこうした講習会で、魚の商品価値を上げる方法を教えているのだ。
16特にホタテが美味しくてリピートですね。
冷凍で固まっています。
そしてそれは、中国以前に日本にも起きている問題だ気づいたそうです。 野本良平さんはプレゼンをしなくてはなりません。
バイヤーの並木佑二さんは「地方に行かないと鮮度上、絶対に食べられない刺身が東京でも味わえる。 「『すかいらーく』は4兄弟で経営していたこともあり、家族血縁は入社させないという決まりがあったので、子供の頃から会社に入ることはないと思っていました」(横川) ちなみにカンブリア宮殿に登場し大反響を呼んだ外食レジェンド、高倉町珈琲会長・横川竟は叔父にあたる。 そして、話を聞いてみると、店舗が1店舗しか無い頃から自社で養鶏所も作り原料の生産を行っているということでした。
3そもそも、日本に400以上もある有人の離島の収入源のほとんどが漁業で、現在は国の補助金等で活性化をしようとしているものの、現地に住んでいるのは老齢の方々が中心。
5月、野本は一般客が買えるサイト「漁師さん応援プロジェクト」を立ち上げた。
何と大量の魚の在庫が 3 日で完売しました。